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もてない人間の雑記帳・ゆるく断捨離中

20141030  

辛いことがあると縋りたくなるが、あれはこちらが勝手に架空の望みを託しているだけで私の辛さを救いうる存在ではない
いつも忘れる
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category: 雑記

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20141027  

あの人間が、引っ越しの準備をしないといけないと言っていた。
そこで整理されるものの中に我々の集団も入ってるんだろうか。
譲歩してそれはいいとしても、我々を繋いでいる(いたと過去形にすべきか)集団を結成するにあたったその要素だけはどうかどうか置き去りにしていかないでほしいと思う。
本人が決めることだけど。

category: 雑記

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20141024  

忙しさと疲れに押し流されて、大事にしたい、しなくてはいけない気がする感情さえどこかへ行ってしまう。

category: 雑記

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お菓子とコミュ力  

最近忙しいというか偉い人から押し付けられた仕事で休日出勤が続いている。
ずっと疲れていて、生きている心地がしない。
上の人間というのはなぜ思いつきで人に物を頼むのか。
(こういうタイトルの本あったよね)
あとパソコンは何でもできる機械ではない。

愚痴はさておき、まあこれも愚痴みたいな話なんだけど、会社で部署の先輩に恩を売ったら(売りたくて売ったわけではなく、なりゆきでそうなった)そのお返しに苦手な果物のお菓子をもらった。
気持ちはありがたいし人からいただいたものに文句をつけるのは野暮というか人として最悪だとはわかっているけど、私何かにつけてその果物は食べられないからと言ってたとえば会社のもらい物で来たとしても他の人たちでわけてもらってるよな…とふと思った。
いや人の好き嫌いなんていちいち覚えてないのが普通だけど、毎日一緒に働いてるし私はあなたの苦手な食べ物が肉の脂身で好きな食べ物が豆類だということを覚えているのに…
私は特別覚えていなくていいことをしつこく記憶しているタイプだということを自覚している。
肝心なことは覚えていられないのに。
それでも他人に対してそう思ってしまうということは、他人の趣味嗜好はなるべく覚えておいたほうがいいなと感じた。
もちろんただ覚えているだけでは意味がなくて、その「覚えている」という特技(?)を生かして、コミュニケーションに役立てないといけないんだなと思った。
ただ覚えてるだけでは伝わらないしコミュ力が低いままだ。
その証拠に、その先輩は私よりもずっと人との会話が得意そうだ。
コミュニケーションというのは見せ方の問題で、持っていなくても持っているように見せることは可能なんだろうなと思う。
コミュ力と呼ばれるものが真にある人というのは相手のことをよく知った上で相手に合わせた話題や発話ができる人のことを言うのかもしれない。
いずれにせよ人が好きでないとできない。

と、このようにもらったお菓子ひとつでいろいろ考えてしまうから生きてて疲れるのかもしれない。

category: 雑記

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20141013  

雑記
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category: 雑記

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台風が来て、去って行った。

毎日漠然と各分野について「このままでいいのか」という思いにだけ支配されて生きている。
あまり明るい内容ではないです。

・仕事について
このまま続けたところで何かが得られるわけでもないしスキルが身につくわけでもない。
かと言って他にやりたいことがあるわけではない。
何よりまた就職活動をすると考えただけで吐きそうになる。
実は一度職を変えたことがあるのだが、あの時は本当に職場に向かうこと自体が苦痛を伴うものだったことに比べれば、辛いけれど何も楽しくないけれど通えてるだけましだから容易く手放すものではないと感じている。
そりゃやりがいがある仕事と出会えるならそっちの方がいいけど出会えるとは思えない。

・家族について
家族の問題というのが高校生くらい(もっと古くからあったんだけど、深刻な問題として心に積もっていくようになったのがそのあたり)からあった。
自分が社会人になって一応大人と称される立場になり、彼らが子供に隠していたものが見えてくるようになったりして見方が変わったのもあって更に重くのしかかってくる。文章おかしいけど。
具体的にはなんと言ったらわからないけれど、一言で言えば「不和」以外の何物でもない。
それに「老い」が加わって事情はさらに混沌化している。
自分はそういうものから目を逸らしたくて逃げたくて仕方がないのだけど、一緒に暮らしている限りそれらはずっとそこにあってどかすことができない。
果たして全力で回避していいのかもわからなくて、実家を出ることもままならない。
言い訳と言われればそれまでだけど。
大人だから自分でなんとかするけれど、私は人が思うよりも(人がどう思ってるかは知らないしたぶん他人について所見や感想などない)家族のことで悩んでいる。
わかってほしいわけじゃないけど、出口がなくて辛い。
何が辛いかというと、いろいろな要素や角度が絡まって自分でも具体的に説明ができないことと、自分が存在している時点で逃れようのない事象であること、たいして辛いことではない、世の中にはもっと…と自分を責めがちになることと、誰にも言えないというか言いようがないことだ。
これに関しては悩みの「核」がとらえられない。

・集団のこと、そして
もう一ヶ月ほどあの人間と顔を合わせていない。
久しぶりに文字で話しかけてみたらしばらく返事が来なくて落胆したけど(と言っても一日そこら)心のどこかであの人は律儀なので返してくるだろうと思っていた。
なんてことはない返信が返ってきたけど、だからどうということも特にないという報告するまでもないことだけがあった。
そういう律儀なところは好きだけど、これは仕事と同じように義務的に発揮された律義さなんだろうなと思う。
それでも有難く受け取るけど。
これからどうなるんだろう。どうにもならないんだろうな。

社会人の人に、今悩んでいることはあるか聞いて回ってみたい。
だいたい同じ年頃、境遇の人がどういうことを日々考えて生きているのかが気になる。

category: よもやま話

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あたりさわりのない人  

最近もこれと言ってうだつのあがらない生活を送っている。
強いて言えば、先週は人と会う機会が二度あった。

一度目は学生時代の友達で、夕食をとりながらとりとめもない話をした。
主に彼女の近況報告を聞くことに終始していたと思う。
最近彼氏ができたとかで、明らかに幸せなオーラが出ていて、体調もよさそうだった。
こちとらビタミン剤を飲み始めたけどプラシーボ効果すらなくただ尿を黄色くさせているだけなのに。
友達なので特別妬んだり僻んだりすることはないんだけど、そういう人生が普通にやってくるのが不思議だ。
何より今まであれだけ相手の容姿にこだわっていた彼女が、彼の人柄や自分に対する愛情の深さで恋人を選んだということに上から目線ながら成長を感じ、やはりそういう堅実な年頃だよなと思って自らを顧みると何もない。
元々これまでも何もないのでそこまで焦ったり落ち込んだりはしないんだけど。
人は人自分は自分と思っているからこっちはこっちでやっていくけど、周囲はそんな感じで人生がすすんで行ってるなと思った話。

二度目はこれまた学生時代の知り合いの人たちと複数で集まった。
その中にとても行動力もコミュニケーション能力も高い子がいて、地元が近いというきっかけで仲良くしてくれていろんな集まりに引き合わせてくれるんだけど、今回も彼女発案の集まりだった。
すると当然知り合いだけどあまり親交の深くない人がいたりする。
たしかに学生時代から友達なんだけど、一対一では絶対に遊ばない子。
同じ趣味を持ってるけど、それで会話が弾むわけでもない。
これってなんなんだろうと思うけど、今回も謎が解けなかった。
私自身にも原因があるということはひとまず置いておいて、その子に関して分析すると、非常に「あたりさわりのない子」だということが言える。
いつもニコニコして相槌を打っていて、自分のことをあまり話さない。
でもいつも権力者の近くや力のある集団?の輪の中にいる。
つるんでいる友達もいて、そういう子たちとは深い話をするのかもしれないけど、私とはその手の話をしたことがない。
私が自分の話をしたり笑いを誘うようなことを言ってもニコニコするだけ。
私は「つまらない人」と思われるのが怖くて無駄にベラベラ話してしまうこともよくあるけど、そういう空回りをしなくても周りに人がいる彼女のことが不思議だ。
こういう「あたりさわりのない人」って実は結構いて、学生の時も彼女の他にも何人かいたし、職場にもいる。
一番気になるのはその人が誰の前でなら「素」になって、それがどんな風で、どうして私はその「素」を見せる人間に選ばれないのかということだ。
知る由もない。

前述の一緒に夕食をとった友達なんかは、自己主張が強くてわがままと評されることもあるけれど、自分のことをバンバン話すので「あたりさわりのない人」よりは安心して付き合える。
あとは飲み会のおじさん達ってどうでもいい身の上話や昔話を一方的にしてくるけど、こういう感覚がなさそうに見えてものすごくほんの少しだけ羨ましい。
「あたりさわりのない人」の後ろに私が勝手に見ている裏の部分が恐ろしいんだと思う。
人間ってわからないものを怖がる傾向があるからなあ。
きっと私も誰かにとっては「あたりさわりのない人」なんだろうな。

大人になるとそういう「あたりさわりのない人」が増える。
と、最近気が付いた。
とくに10代の頃は自分の好きなものをものすごい勢いで薦めてくる子とかがいて、本や漫画や音楽を「押し貸し」してくる友達が結構いた。
それで新しい発見があったり、自分もはまったりした。
大人になってしまうとそういうのってかなり難しくて、さみしいなと感じる。
身近な人からの口コミって情報源として個人的に貴重だから。
みんな自分をさらけ出すのがそれなりに怖いんだと思う。
それが閉塞感につながったりして、私達の生活はわりと息苦しい。


category: よもやま話

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