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もてない人間の雑記帳・ゆるく断捨離中

『暮らしのなかの工夫と発見ノート 今日もていねいに。』  

雑誌『暮らしの手帖』編集長でもある松浦弥太郎さんの『今日もていねいに。』を読んだ。


男の人の著書というのがびっくり、という印象を受けた。
女性はよく「ていねいな生き方」っていう表現をする人を見るけどね。

ツイッターにつぶやいた感想とかぶる部分もあるんだけど、たとえば自分が「ていねいな生き方」を目指すとして、本来であれば人が生み出した「ていねいな生き方の見本」に頼らず、自分で自分にルールを課すことが重要なんだと思う。
自分なりの「ていねいな暮らし」あるいは「目指したい生き方」を考える上であくまで参考として読むのにこのような本が存在するのだと思う。
そもそも「ていねいに。」って私からすれば無理してる感じがする。
余裕がなかったり、汚い部分があったりするのが人間だと思うから。
特に私なんかは物事をしょちゅう否定してしまう人間なのでなおさらそう感じるのだと思うし、
「あーあ自分って人としてだめだな」
と無意味に卑屈になってしまう。
私自身はちょっと卑屈だったりひねくれた考え方をする人は嫌いではない。
もしかしたら「ていねいさ」とは対極にいるのかもなと思いつつ読み終えた。

面白いエピソードはいくつかあった。
著者が熱を出して学校を休んだときに、教師が退屈しのぎになるように自分のペットのメジロを貸してくれたという話が特に心に残った。
今はこういう先生っていないんだろうな。
こういう粋な計らいができる大人にはなってみたいと思う。

「わからない箱」という項も面白かった。
わからないことがあったら、紙に書いてちぎって引き出しの中の箱に入れるのだそうだ。
溜まったら好きなタイミングで消化していく。
物理的に箱を用いなくても、「調べたいことリスト」を作ればそれで済むんだけど、目に見えるとわからないことが体感的に感じられてより面白いのだと思う。

体感的と言えば、いくらネットが発達しようと、この目で見ていない、体感していないものは「儚いサムネイル」に過ぎないという言い方をしていて、言い得て妙だなと思った。
「儚いサムネイル」という語感が気に入った。

最近読んだ生き方の本には、だいたい「過ちを認める」という教訓が出てくる。
実は私はこれが結構苦手で、苦手ってわかってるのになかなか改善できないでもいる。
私の母は特にこの傾向が強いから親譲りだなと思うし、母のそういう様子を見るたびに醜いなと思うのに。
「ていねい」がどういうことか完全にはわからないけれど、まずはここから始めたい。
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