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もてない人間の雑記帳・ゆるく断捨離中

映画『告白』を見た  

湊かなえ『告白』を読み、気になったので映画も見た。

以下ネタバレを含む感想
映画の感想を簡単に書こうと思う。
とにかく、劇場で見たかった。
監督は「下妻物語」「嫌われ松子の一生」を手掛けた中島哲也さんだそうだ。
映画にはあまり明るくないが、嫌われ松子の一生はたしか見に行った。
物語の内容よりもミュージカルめいた映像作品だなという印象を受けた記憶があったのだが、確かに「告白」を見終わって考えれば、同じ監督ということにとても納得した。
この作品でも音楽、しかもBGMではなく挿入歌が多く使われていたし、スローモーションを多用した映像は終始暗くて重々しい雰囲気の映画のアクセントになっていた。

映画の中で使われている曲について、気に入った曲が多かったので挿入歌を調べてみた。
私が特に好きなのは、主題歌?のレディオヘッドもそうなんだけど、美月が校長室に向かうまでのシーンで流れる「虹が始まるとき」という曲と、最後の爆発のシーンがスローで逆回しになるところで流れる「決別」という曲だ。
いずれも日本のBorisというグループの曲らしい。
なぜ今まで知らなかったのか。
素晴らしい。
「決別」は最初レディヘの曲かと思った。
キャリアが長い人たちなのに…もっと早く出会いたかった。

それにしても、あの逆回しのシーンはよかったね。
始まった瞬間は「CGだな~」と思ってたのに、見れば見るほど…
渡辺少年が作った逆回り時計をあんな効果的な演出に使うとは思わなかった。

原作と映画では時系列が違ったり、設定が異なったりしているけど、他の小説原作の映画を見たときにありがちな不満はこれと言ってなし。
事件後桜宮先生と暮らすようになったという説明が映画の中ではなかったよなあくらい。
あとは森口先生が牛乳に本当に血液を混ぜたかどうかで少し意味合いが変わってくる。
原作…実際に注入→それに気づいた桜宮先生がすり替える→森口先生がそれを知ったのは桜宮先生の死の直前
映画…血液採取の時点で桜宮先生が止める
つまり、森口先生が犯人の生徒に血液を飲ませるという作戦に失敗したと認識するタイミングが異なるわけだ。
映画では本当は注入していないけれど「注入した」と言っており、原作では本当に注入したと思い込んだままその恐るべき復讐をクラス全員に語っている。
この部分に関しては私は原作の方が好きだ。
嘘で人を恐怖に陥れるよりも、現実(と思い込んでいるだけだとしても)において追い詰める方が、彼女のまるで人の心を失ってしまったかのような背筋が寒くなるほどの犯人への憎しみをより強く感じられるからだ。

ちなみにこの相違があるため、映画では美月が血液入り牛乳の真偽を自らの手で調べなかったということになっているんだと思う。


「目には目を」が前提だとして、「因果応報」の適性な値ってどのくらいなんだろう、そしてそれは何によって決まるのだろうということを思った。
「報い」とはなんだろう。
そしてそれは報いを受ける人間に何をもたらすのだろう。
むしろ、「報い」によって何かが生まれればそれで万々歳なのか。
森口先生の「復讐」では甘いと思う人も、いくらなんでもあんまりだと思う人もいると思う。
人が自らの罪(とくに殺人)を悔い改めることって、そうそうできるものではないんだろうな。
目に見えて「完全に更生しました」っていうサインが出せるわけでもないし。
人を殺した時点でそれが枷となって付きまとう場合はそれ自体、人生そのものが懲役みたいなものになるけれど、この物語の少年二人、特に渡辺少年はそういうわけでもないだろうし。
それは被害者が憎くて殺したわけではないからだ。
殺す殺さないよりも、自己が抱える問題のほうが先立ってしまっている場合、事件はより一層複雑さを増す。
そういった場合、もう法では裁けない領域まで来てしまっている。


まぎれもなくノンフィクションなんだけど、現実だったらどのように事が運ぶのかなと考えてしまう作品だった。

ラストシーン、松たか子さんの最後の鬼の形相がすごかったな。
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