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もてない人間の雑記帳・ゆるく断捨離中

『本を読む人のための書体入門』読了  

本を読む人のための書体入門 (星海社新書)
本を読む人のための書体入門 (星海社新書)
正木香子『本を読む人のための書体入門』を読んだ。
なぜこの本を手に取ったかというと、普段とくに文庫本を読むときに、1ページめをあけて、あ~このタイプか~と思うことがあるからだ。ちょっと苦手な書体というか。
なぜその書体を苦手と感じるかというと、妙に明朝体が太くて、必要以上にすべてが協調された感じがするのと、これは完全なイメージの問題だけど、翻訳文じゃないのに翻訳文のように感じてしまって物語と自分との間に距離を感じてしまうのだ。
逆に言うと、翻訳文でその何書体だか知らないけど妙に明朝体が太い書体を見る分にはかえってしっくりくるというか読みにくいという印象は抱かないんだよね。
それが常々不思議だと思っていたので、何かヒントが見つかりそうだと思って読んでみたのがこの本。
星海社新書ってあまりなじみがないけど、たぶん若者向けというか次世代向けの少し新しい切り口の新書を出すことを目標にしてるんだと思う。
高校生やふつうの大学生の思考訓練用と言うか。
別に私だって社会人だし社会人が読んだってもちろんOKなんだけど。
昔からの新書読みの人からしたら邪道なのかもと思ったりする。まあ歴史を重ねていけば。

私たちは文字を読みながら、実は「書く」ことを仮想体験しているのです。

作中で筆者はこんなことを言っていた。
個人的にはこんなこと思ったこともなかったけれど、だとすれば「なぞりやすさ」の面で書体によってしっくりくる・こないがあることに説明がつく。
そしてしっくりくるこないの判断基準というか、その根拠とはと言うと、

私が好きな書体とは、初めて見た瞬間に、すでに出会ったことがある、と感じさせる文字なのかなという気がしています。

人は何かに強く惹かれるとき、まったく初めて見るものであっても、いつかどこかで見た府警だと感じているような気がするのです。

との考えを正木さんは示している。
これは文字に限ったことではなく、他のさまざまな事柄に関して言えることだと思う。
直感的に安心感をおぼえるのか、向こうから自分に寄り添ってくるような感じがするのだと思う。
そして、このような感覚は、文字を「平面」ではなく「空間」の体験としている故であると筆者は続けている。
簡単に言えば文字というものに、言葉や文章そのままの意味の他にもっと奥行きのある情報(印象・イメージ・自分の過去の体験など)を無意識に見出しているということだよね。
私が冒頭で言った翻訳文でないのに翻訳文に感じるというのは、翻訳のシリーズものを初めて読んだときに、たとえば大声の台詞がわざわざ書体を変えて大文字で書かれていたことに驚いたという経験に基づくものだと思う。
それが根強く残ってしまった。
その安易な印象操作?演出?がなんとなくはまらなくてそれ以来そのシリーズは読んでいないという話はまあどうでもいいんだけど…
とにかく、文字に空間性があるという一言に集約したことだけでもこの本の意義は大きいかなと思う。

ここから自分の話をさせてもらうと、私は書き文字にフェチを持っていて、記入済みのほぼ日手帳やモレスキンの写真がばーっと載っているウェブサイトを見るのが好きなんだけど、結局字でその人の人間性まで勝手に想像している部分がある。
字がうまい!頭よさそう!品行方正そう!素敵!みたいな。
ラブレター詐欺とかあったら引っかかると思う。
字から人となりを判断するというのの逆パターンで、この人にこの文字ありという考察もよくしている。
会社で人の書き文字を見ていて、この迷いのない筆の運びは他人の目を気にして縮こまっている私の字とはまるで違う…とか、この筆圧と全部の字がつながっている勢いはこの人の向う見ずな性格そのものだ…とか、この妙に整えようと頑張っているのが隠しきれてない字はそのまま学生時代やんちゃだったけど今社会人としてそれをひた隠しにしているのだな…(((だって待ち受けにしてる昔の写真ヤンキーじゃん)))とか結構失礼な人間観察をしてることが多々ある。
でもこれっておそらく多くの人が無意識にやっていることであって、字にイメージを見出さない人っているのかなと思う。
書体にしたって同じことが言えて、日本語が書体に富んでいるのか、他言語にも書体はたくさんあるけど印象が書体によって左右されやすいのが日本語なのか知らないけれど、日本語の利用者でよかったなと思う。
「空気」や「文脈」がものを言う文化なのともつながってくる話だと思うけど長くなるからやめる。

文字へのこだわりといえば、このブログもメイリオというフォントに設定してあるけど、これも一応こだわってやっている。
もし私がもっとお堅い評論ブログをやっていたとしたら、絶対に文字もお堅くする。
でもこれってさっきの話じゃないけど、研究者がまさかギャル文字みたいなフォントで論文を出さないのと一緒で、「その文章なり言葉なりをどう読まれたいか」という気持ちをフォントに込めているんだと思う。
就活ではスーツを着てそれ用の化粧をし、合コンでは勝負服を着てそれ用の化粧をするのに似ている。
合コン行ったことないけど。

にしても、ツイッターにも書いたけど、活版印刷が普及するまで文字はほぼ音読されるためのものだったっていうの、現代の我々には想像もつかないよね。
文書化された文字は楽譜みたいなものだったという質問サイトの回答を見て納得した。
ツイッターとか見ていても思うけど、日本人は老いも若きも文字大好きなんだなと思う。
あまりに自然に使いこなしてるから自覚がないんだろうけど。

まとまってないけどこんなところで終わりにします。
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