monokoyomi

もてない人間の雑記帳・ゆるく断捨離中

立派な人  

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世の中には立派だったと言われる故人がいるじゃないですか。
亡くなってから偲ばれ語り継がれる人数や年数の多い人という言葉に置き換えてもいい。
で、最近そのとある「立派な人」の追悼文集を読む機会があった。

その偉人とはまあ会社の昔の社長(のちの会長)なんだけど、私の所のような小さい会社でもその人の血縁者や逝去を心から悼んだ人々によって追悼文集みたいなものが作られていたのだ。
けっこう前の文集なんだけど、社に関する勉強の一貫として読むように渡されたというのが事の始まりなんだけど…
知らない人の事を読んでもこう、あまり実感がないというかそんなに素晴らしい人でも私はもう会えないしなあって感じだ。
この社に雇ってもらったのはありがたいけどこれと言って愛社精神はない。
それに私を雇い入れてくれたのは今の直属の上司及び人事部の人々であってその偉人ではないし、強いて言えば社長が創始者の血縁だけど、その人に受け継がれた偉人のエッセンスとやらもハァ…って感じだ。
何が言いたいかというと、みんなで私の知らない偉人を讃えられても蚊帳の外の人間からしたら冷めますという至極自分勝手な感想。
文集も当然だけどマンセーに次ぐマンセーで胸焼けがしてくる。
そしてそんな自分に嫌悪するのも嫌だ。
冷めの最大の原因としては、血縁者からの寄稿が多かったんだけど、故人とは言えそこまで血縁者を公の場で讃えられる人たちを妬んでしまったことが挙げられる。
私はたとえば自分の親を尊敬も何もできなくて、現に死後誉め称えられるようなこともないだろうなと思っている。
あまり惜しまれずに死ぬんだろうなと。
これは自分自身にも言える。
そういう所から生まれたコンプレックスを、この追悼文集にものすごく刺激されてしまったのだ。
私も本当は死後伝記になったり記念館なり資料館なりが作られてガラスケースに手記が並ぶような大人物になりたかったのかもしれない。

何事も「人は人」と割りきれればいいんだけど、あらゆる事を自分の方に引き寄せて比べて勝手に卑屈になってしまう本当に悪い癖を治さないといけない。
今回の件だって別に死後たくさんの人に偲ばれれば偉いって訳じゃないし、その人と私自身や私の家族はまったく違う人生だという自然なことしか言えないのに。
本当妬み嫉みをやめたい。
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