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もてない人間の雑記帳・ゆるく断捨離中

津村記久子「ウエストウイング」再読  

ウエストウイング
ウエストウイング

年末年始、津村記久子さんのウエストウイングを再読した。
店や会社などのいろいろな店子の入ったビルを舞台にした群像劇。
ビルに出入りする年齢性別も違う人々があるきっかけでつながっていくという話。
驚いたことに登場人物はほぼビルから出ていない。
それでもいろいろなことが起こるし、それがいちいち面白い。
なんというか、細かいディティールが。
架空のビルなのに「ありそう、ありそう」もしくは「あったら楽しそう」と思わせてしまうすごさ。

津村さんの小説には、人と人とが些細なきっかけでゆるく繋がる様子がよく描かれていて、それをいつも羨ましく思う。
つながるってよく聞く言葉だけど、携帯会社のCMで聞くようなわざとらしい「繋がる」でもなければ、現代社会の闇!繋がりたい若者!みたいなものではなく、ただそこにいるから、生活圏が同じだから、たまたま人生の通り道が交差したからなどの理由で生まれるやりとりに心が和む。
一言で言えば「隣人感」。
津村さんの本を読むと私も誰かにとってよき隣人でありたいと思うのだ。
必要以上に気も使わないし、かと言って冷たくもない、ほどよい温度感って昨今なかなか得られるものではないからだ。
私もこんなことを言いつつ、まったくの他人と言葉を交わすということはほとんどない。どちらかもしくは双方が仕事の最中であるという状態を除いては。(例:接客、会社の来客など)
自分でも知らない人となんでもない話をしたいのかしたくないのかわからない。
でも、話しかけたいときに話しかけるのが自然な状態なのかなとも思う。
電車で自分もよく行く店の袋を下げている人に「何買ったんですか?」とか、ipodの画面がちらっと見えてしまった時に「そのバンドかっこいいですよね」とか…
そういうのを直接出さずツイッターに書いてしまうのが、元来シャイな気質な上に現代という時代を生きてしまっている日本人の哀しさなのかもしれない。
わからないけど、関西というか大阪のほうが知らない人に話しかける文化というのは色濃いのだろうか。

ラストシーンを頭の中でつい映像で思い浮かべてしまって、晴れた日の空まで見えるような気がしてとても平和な映像だったので、こういう平坦な毎日の中にある決して劇的ではない平和を噛みしめて生きたいものだと思った。
でも難しい。本当に。生きるって大変なんだよ、働くって特に。
そういう時、津村さんの小説を読むと少し心が晴れるのです。

そういえば1月4日に仕事初めをして「ワーカーズ・ダイジェスト」を読みたくなった。
なぜかは読めばわかります。

さらに余談だけど、ウイング=翼というのでルーブル美術館を思い出した。ドノン翼、リシュリュー翼、シュリー翼。
いつもどれか一つを忘れる。
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